第173回blog♪本震かと思っていた前震。
ブログ、遅れがちだけど💧
前震からの経過を書いてみます。
14日(木)
日中は普通の日だった。
なんの前触れもなく。
・・ってか前触れが前震だったのか。
前触れデカすぎ💦
21時半頃、キッチンで夕食の片付けを終えかけたときに揺れた。
私、のん気なのか揺れ始めた一瞬「わぁ!もしかして地震?」なんて珍しく思った。
ほんの一瞬そう思っただけで揺れが大きくなって床に手をついてしゃがんだ。
夫がいる寝室兼書斎に向かって廊下を四つん這いで移動。
幸い、家族は全員帰宅していて怪我もなく無事。
免震のお陰だったのか家具も倒れず。
ライフラインも大丈夫だった。
※オール電化なのでガスはなし
朝までが長い夜だった。
のちにわかったのは停電しなかったけど余震が多くて
エレベーター
タワー式立体駐車場が使用不可に。
中はこんな感じ
15日(金)
余震はあったけど普通に過ごした。
11階に住んでいるのでエレベーター使えないのは大変💧
街に買い物へ出掛けるとちょこちょこと建物の一部破損はあった。
そして夕方から余震おさまってきたと感じた。
夕食食べていつも通りに就寝。
16日(土)
日付が変わって1時半頃・・。
本震発生。
寝てたけど凄い揺れに目を覚ます。
起き上がってもまだ揺れる。
前回よりも明らかに揺れが大きい。。
廊下に出るとセンサーライトが点灯。
大きな揺れの中、ついに停電真っ暗になった。
停電とともに水も出なくなった。
この家に暮らして8年。
台風直撃したって停電は一度もなかったので灯りが消えたショックは妙に大きかった。
家族の無事を確認したらスマホのライトやアロマキャンドルをつけた。
メチャクチャ揺れたのに家具の倒壊も破損もなく一応一安心。
ベランダから外の様子を見ると14日の揺れに耐えていた隣の古い蔵が倒壊していた。
暗闇の中、消防団や近所の人が古い家屋の住民の無事の確認をしていた。
息子が電池式のポータブルラジオを持ってきてラジオからの情報に聞き入る。
時々大きな余震もあり暗いうちは外に出るのも危険なので家に留まった。
その後3時間ほどで電気は復旧。
灯りもテレビもついて少し安心。
電気が復旧したら水も出るようになった。
夜が明けるとテレビからは目を疑いたくなるような光景が。
熊本城は前日よりも崩れて、阿蘇大橋も落ちてしまった。
阿蘇神社も倒壊。
日中は出掛ける気持ちにもなれず引きこもる。
夜になって突然断水。
市内あちこちで水道管の破損漏水があったようで止められてしまった。
浴槽に汲み置きしておいた水でトイレは「大」のときだけ流すことにして洗濯物とお風呂は我慢。
飲水はひとまず大丈夫。
17日(日)
朝から水の調達に走る。
コンビニは開いているところがあるけどお茶とお水は品切れ。
給水車に並ぶ。
行列に並んでる間、後ろに並んでた人と家の様子や不安を語り合った。
一時間弱待ってついに給水車に。
もらったお水は2L程度。
飲水が欲しかったのに「飲用不可」とのこと。
普段当たり前にお水が出てきてる水道のありがたさ痛感。
家に戻りながら近所の変わってしまった風景を目にする。
よその車がこんなことになってるのを見て自分ちの車を心配する💧
我が家のタワー式立体駐車場、機械が動かないために車の安否だけが不明。
大きく揺れたので中でぶつかったりしてないのか。
夕食は食器にラップを掛けて食べて、食後はラップを外して捨てた。
ウエットティッシュ大活躍。
身体を拭いて就寝。
18日(月)
夫が出勤に困る💧
マイカー通勤なのに車が出せない。
公共の交通機関はマヒが続く。
一部動いているバスに望みをかけたものの時間通りに来ない。
結局バス停で知り合った人とタクシー相乗りして出勤したとのこと。
帰りは夫のお友達が車を貸してくれ無事に帰宅。
夜には水道とエレベーターが復旧した。
水も電気も本当にありがたい。
その後・・
21日(木)
一週間経ってやっと立体駐車場が稼働。
車は無傷。
人の車をお借りしたり、タクシーで片道8千円もかかったりしたけど。
一応この日、不自由はなくなった・・。
ライフラインの復旧はエリアごとにずいぶん差があってうちは復旧が早い方だったと思う。
我が家のライフライン復旧してからはお友達に声をかけて洗濯物を引き受けたり、お風呂に入りに来てもらったり。
知ってる人で困ってる人のお手伝いをしながら、会って話してお互いに元気になった。
みんな怖い思いをして突如不自由になって「いつもと変わらない毎日」のありがたさと命があったこと、怪我がないことに感謝。
「大丈夫でしたか?」が挨拶になってしまった熊本。
私も「なにかしなくちゃ」と思って焦るけど、まずは出来ることやれることからちっちゃな活動しています。